1.“視座”とは
◆【視座(しざ)】とは、物の本末や事の終始(経緯)などを考えたり、判断したりする際の立場や視点のことを指します。通常、異なった2つの意味で用いられる「視点」と異なり、より広い視野や深い洞察を含み、自分自身がどの立場や価値観に基づいて、物の本末や事の終始を捉えるかを表します。
◆日本人として、自分自身の【視座】を高めることは、より俯瞰的で本質的な理解を深めることにつながります。

2.宗教にこだわらない日本人の出発点“神仏儒習合思想”
◆聖徳太子(574年~622年)は、父方の伯母(おば)にあたる推古天皇の「摂政(せっしょう/君主に代わってすべての政務を執る職)」として、政治的発言権を確保するとともに、仏教と天皇制を両立させる道を作り出します。【神仏儒習合思想】です。
◆聖徳太子は、「神道を幹とし、仏教を枝として伸ばし、儒教の礼節を茂らせて、現実的繁栄を達成する」という詭弁的論理を編み出し、「一を加えても、他を否定することはない」と主張しました。これは、当時の多くの日本人が悩んでいた問題に対する、適切かつ現実的な回答でもあったのです。
⇒「神々は、敬(うやま)わなければならない。敬(うやま)って、なお祟(たた)るのが日本の神々である。その祟(たた)りを鎮(しず)めるものが、仏である。だから、我々は仏も拝(おが)まなければならない」。

◆神々への恐怖を強調することにより、これを廃することを抑え、その半面で慈愛を説く仏の一面を強調することで、その信仰をも肯定した(認めた)のです。これは、宗教を体系的にまるで考えない便宜主義でもあります。およそ世界に、これほどの独創的・現実的な思想を発見したものは、他に例をみません
◆聖徳太子の【習合思想(相異なる教理や学説が融合すること)】の凄まじさは、仏教と神道とを、それぞれ別の宗教として、その体系のままで同時に信仰することを許容し、推奨した点にあります。宗教論理的には、詭弁(きべん)としかいいようがありません。
しかしながら、現実的な政治効果は絶大であったのです。おそらく、当時の日本人の圧倒的多数は、一方において新しい仏教と、それが伴ってくる技術とに憧れていたと思われます。だが、その反面では、父母の信じた祖先崇拝も捨てたくはなかったのです。こういう二律背反に悩んでいた人々にとって、理論的な不整合などはさして妨げにはならなかったのです。このため、聖徳太子の唱えた【神仏儒習合思想】は、たちまちに広まったのです。
◆二つの宗教がともに国家公認として、一人の人間が2つを同時に信仰する道が開かれました。まさに「宗教における堕落は、政治における飛躍」だったのです。この【神仏儒習合思想】が普及した結果、日本には深刻な宗教対立はなくなるのです。同時に、厳格な宗教論理も信仰心もなくなったのです。
◆その意味で「聖徳太子」は、世界で初めて「宗教からの自由」を表現した思想家だったといえます。これが、後の日本に与えた精神的影響は、実に重大です。複数の宗教を同時に信仰できるとなれば、各宗教の中から都合のよい部分だけを取り出す「いいとこどり」の慣習が生まれ、「絶対不可侵なる神の教えと掟」は存在しなくなってしまうのです。
◆このことが、文字を知ったのと同じくらい早く起こったために、「神道」はついぞ聖典や戒律を定める必要に迫られませんでした。そればかりでなく、外来の「仏教」でさえも、この国に入ると急速に聖典と戒律を失い、「いいとこどり」の対象になってしまったのです。つまり、体系的な形での絶対的正義感がこの国では育たなかったのです。
◆ゆえに、日本人の考える宗教との差とは、宗教儀式の違いに過ぎないのです。
◆宗教の違いとは、本質的な倫理感の違い、つまり「何が正しいのか」という点での対立です。厳密な意味での宗教とは、「何が正しいか」「何が悪いか」を客観的事実や利害得失によってではなく、神の教えた聖典と戒律によって定めたものです。
◆したがって、「信仰」とは、それを議論するまでもなく、「信じ守る」ことに他ならないのです。そうした宗教信仰の慣習を持つ人々は、他の事柄に関しても、とかく「絶対的正義」を持ちたがります。それがなければ不安であり、言動の基準を失ってしまうような気がするらしいのです。
◆ところが、複数の宗教を同時に信仰する習慣を持った日本人には、「唯一絶対神」の教えも、不変の掟もありません。
日本人は、宗教がなくとも「様々な道の教え」から高い精神性を保ってきているのです。