1.世界に誇れる我が国の“和”の本質
(1) 和を以て貴しと為す
◆この言葉は、聖徳太子が8世紀に制定したとされる「十七条憲法」の第一条の冒頭にある言葉で、下記の文面になります。
⇒「一に曰く、“和(やわらぎ)”を以て貴(たっと)しと為(な)し、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然(しか)れども、上(かみ)和(やわら)ぎ、下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん」。
【現代語訳】
「お互いの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところが、人にはそれぞれ党派心(主義主張の似た人だけに向ける心)があり、大局を見通している人は少ない。だから、主君や父に従わず、あるいは近隣の人々と争いを起こすようになる。しかしながら、人々が上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、事柄は道理に適(かな)い、何事も成しとげられないことはない」。
◆「“和”を以て貴しと為す」は、「“和”を何よりも大切なものにしなさい」というだけの意味ではなく、「わだかまりなく、話し合うことが貴いことだ」という意味であるとする意見もあります。先に挙げた一条の全文で述べられていることが、その意味です。第一条は「上も下も和らいで話し合いができれば、何事も成し遂げられないことはない」という言葉で終わっています。
◆「十七条憲法」とは、官僚や貴族に対しての規範を示し、「和」と「仏教」を尊ぶ思想で政治を行うことを宣言したものです。背景に、「神道」「儒教」「仏教」「道教」などの様々な思想や宗教が習合されています。さらに、「以和為貴」は「論語」にある「“和”を貴しと為す」という言葉からの引用であるという説もあります。
そのことから「“和”をもって尊しとなす」には様々な解釈があり、【和】が示す思想的な意味についても議論されることがあります。
◆このような背景を踏まえながら、「“和”をもって貴しと為す」が現代まで語り継がれてきた言葉であることに、大きな意味があるのです。
(2) “和”の本来の意味
◆【和】とは、調和や平和を意味する言葉です。人々が互いに協力し、共に生きることを示す概念であり、対立や争いを避け、共存共栄を目指す姿勢を表します。
◆我が国の先人たちが大切にしてきた【本来の和】とは、法律やルールなどでがんじがらめにしたり、自分自身の意見を我慢したりするものではなく、大切にすべき芯を中心に据えてさえいれば、揺らがず、感性や感覚をよく働かせて、様々なものと出会い、古いものを敬い、新しいものを産み出していく精神のことです。
◆ゆえに、【本来の和】とは、排除とは逆方向にあるもので、無限に広がる世界を構築するための大切な要素なのです。
2.世界に誇れる我が国の“道”の本質
(1) 武道・柔道・剣道・茶道など ⇒ 武術・柔術・剣術ではない
◆日本は、古くから高い精神性が求められ、日本人の精神や魂が形成されていました。そして、「神道」には、社会規範となる倫理や道徳的な細かな教えがあるわけではありません。
◆日本での「人としての本質的要素」である「道徳性」や「社会規範」の基礎となっていたものが、儒学を基盤とした【我が国の人間学教育)】であり、宗教にこだわらない日本人が、長い歴史の中で一定の「秩序」を保ちながらまとまって来れました。
◆日本人は、宗教がなくとも「様々な“道”の教え」から高い精神性を保ってきているのです。だから(逆に)、日本人は宗教にこだわる必要がなかったのです。
◆一方で、「一神教(唯一神)」の典型である「キリスト教の聖書」や「イスラム教のコーラン(聖典)」、「ユダヤ教のタナハ」、そして「仏教の経典」などでは、生きていく上で必要な「思想・信条・信念」とすべきことや、「善悪基準」のすべてが教えられています。
【一神教(唯一神)】の人々の「善悪判断基準」などの大概は、すべて宗教の教えからきているのです。

(2) 人、能く道を弘む。道、人を弘むるに非ず【論語】
◆【道】とは、「人としてのあるべき姿、人が人であるために求められる正しいこと」を指します。「論語」でいう【道】とは、現実の世の中で生きていくうえで必要な「守るべき道」「人としての規範」ということです。
◆確固たる【道徳】が最初にあって、それに合わせて「人として、こうしなくてはならない」と行動するのではなく、「人として、これが正しいのでは、と思って行動することが“道徳”をつくっていくことなのだ」と言っているのです。
◆私たちは、外部から押し付けられたことを守るのが【道徳】と捉えがちです。そうではなくて、一人一人が「これが、人としてのあるべき姿だろう」と思って行動することで【道徳】がつくられるのです。
◆孔子は、様々な場面で【道】を説いていますが、それは決まり切ったこととして守ればいい、という処方箋のようなものではなく、そもそも形がない【道】を拡げていく可能性を人間は持っているし、発揮すること(知行合一)を私たちに期待しているのです。
(3) 道の知行合一:その1“和魂漢才”
◆【和魂】は、日本人固有の精神性のことです。
◆【漢才】は、中国伝来の「知識や技術」「学問」のことです。
◆【和魂漢才】とは、日本人固有の精神性をもって、中国伝来の「知識や技術」「学問」を吸収し、消化する(十分に理解して、自分のものにする)ことです。菅原道真(9世紀)が【和魂漢才】と言いました。
(4) 道の知行合一:その2“和魂洋才”
◆【和魂洋才】は、日本古来の精神性を大切にしつつ、西洋からの優れた「知識・知能」「技術・技能」「学問」などを摂取・活用し、両者を調和・発展させていくという意味です。
◆古くから使われていた【和魂漢才】をもとにつくられ、明治になってできた用語です。
(5) 道の知行合一:その3“士魂商才”
① 渋沢栄一氏の弁
⇒ 昔、菅原道真は【和魂漢才】と言った。これは、日本人たるもの「大和魂」を根底としなければならないが、中国は歴史も長いし、文化も早く開けて「孔子」や「孟子」といった聖人や賢者も輩出しているから、才能を養うためにはお手本にすべきだ、という意味である。
⇒ それに対し、私は【士魂商才】という言葉を提唱している。人が生きていくうえで「士魂(武士のような崇高な精神)」が必要なのは言うまでもないが、それだけでは生活ができない。つまり、自立するためには、「士魂」とともに「商才」も必要ということだ。
⇒ ところで、書物を読んで「士魂」を身に付けようとする場合、最もためになるのは「論語」だと思う。「論語」なら、「商才」を身に付けることもできるからだ。「論語」は、「道徳」を扱った書物である。「道徳」と「商才」には、何の関係もないように思えるが、「商才」もまた「道徳」を根底としている才能である。それは、嘘や不道徳、不誠実、他人をだまして得た商いは、長続きしないのをみても明らかである。
⇒ 世の中を上手に渡っていくのは難しいが、「論語」をよく読み、内容を理解すれば、きっと役に立つはずである。
② 出光佐三氏(出光興産の創業者)の弁
⇒ 我々が生活を質素にしたり、経費を節約するというようなことは、お金を尊重することで、お金の奴隷になることではない。また、合理的に社会・国家のために事業を経営し、合理的に利益をあげる。これは、お金を尊重することだ。
⇒ しかし、悪徳商人のようにお客に迷惑をかけようが、社会に迷惑をかけようが、お金を儲ければよい。これは、お金の奴隷である。
⇒ 昔の武士がお金を尊重することを知っておれば、この【士魂商才】が武士によって発揮され、日本の産業は、明治時代に外国の良いところを採り入れて、立派な事業家がたくさん出たと思う。
(6) 道の知行合一:その4“論語と算盤”
◆渋沢栄一氏の「教育論」です。「論語」から人間性や人格の磨き方、トップのあり方を学び、「算盤」は知識や技術を学び、会社で価値を生み出し、利益主義一辺倒にならずに国を豊かにすることです。
◆また、渋沢栄一氏は「論語」の内容について、「社会で生きていく上での絶対の教え」と評しています。もし、「論語」たる「道徳や倫理」がなく、「算盤」たる自社や自分自身の利益のみを誰もが追求したならば、社会はどうなってしまうのでしょうか。このような社会は、絶対に長続きしないことは明らかであると断言しています。現在の国民目線からも、このことは明らかなことであります。
◆現代の社会において、まさに渋沢栄一氏の「論語(道徳=和魂・士魂)」と「算盤(経済・商才)」の「根本的な教え」を一致させ、これを現代版で実践する経営者が、大企業や中小企業を問わず強く求められているのです。
◆そのためには、当時の時代に対応した渋沢栄一氏の功績や具体的な教えを学ぶのではなく、渋沢栄一氏が学んできたことの「原点」を学ばねば、現代の時代に対応した実践はできないことも明らかです。
◆なお、「経済」とは「経世済民(世を経(おさ)め(正して)、民を済(すく)う)ことです。
