1.フランシスコ・ザビエルが見た“日本と日本人”
(1) 日本人の第一印象
⇒ これから、日本に関する経験を述べる。まず、今まであらゆる民族の人々と話してきたが、日本人こそ一番良い発見であった。キリスト教以外の宗教を信仰する民族の中で、「日本人に勝てる他の民族はいない」。なぜなら、彼等の「話し方はとても丁寧」だし、そのほとんどが「悪気のない優しい人々」であり、「名誉を重んじた素晴らしい人々」である。何よりも、「名誉を大事にする」。
⇒ 彼等のほとんどが貧しい人々である。たとえ、身分の高い人(武士)が貧しくても、身分の低い人(庶民)に軽蔑されないのである。日本人にあって、我々キリシタンの人々にないことが1つある。それは、たとえ身分の高い者(武士)がいくら貧しくとも、金持ちと同じように尊敬されるのである。これは、我々のようなキリシタンの人々にはみられない現象である。
⇒ 身分の高い人は、いくら財産を獲得できようとも、他の身分の人(庶民)とは結婚はしない。なぜなら、身分の低い者と結婚をすることは、彼等が「自ら(武士として)の名誉を失うこと」につながるからである。つまり、日本人は何よりも「名誉を大きく重視する」のである。
⇒ 彼等は、たとえ見下されるような言葉を吐かれたとしても、全く傷つかない。身分の低い者は、身分の高い者をとても尊敬し、身分の高い者(武士)は、自らの領主(武将)を尊敬して彼に従うのである。これは、彼等が罰を受けるからこそやっているということではないのである。
⇒ 彼等(武士)にとって、主人(武将)に逆らうという行為そのものは、彼等自身の「名誉を失うこと」につながるのである。

(2) 日本人の規範意識
⇒ 彼等(日本人)は、とても控えめに食事をするが、よく米酒を飲む。なぜなら、この周辺に葡萄畑がないからである。彼等は、博打(花札やサイコロ賭博)などを決して行わない。これは、彼等の間で博打はとても「不名誉」なものとして認識されているからである。彼等にとって、博打をする人はとても汚い存在で、すぐ泥棒(盗人)になる可能性が高いと考えられている。
⇒ 神に誓って約束事を交わすことはあまりしないようだが、彼等の場合、約束を交わす必要があれば、太陽(天)に誓って交わすようだ。
人々の大半が読み書きの能力を備えている。それは、祈りと神の法を理解するのにとても便利である。彼等は、妻を一人だけしか持たない。ここの土地では泥棒(盗人)が少ない。なぜなら、泥棒として訴えられる者がいれば、その人は決して生かされることがないからである。人々は、泥棒に対して厳しく対処し、彼等にとって盗むことは決して許しがたい行為とされている。
彼等は、意欲に溢れた人々である。大変話しやすい人々で、好奇心が旺盛である。神について、話を聞くことが好きであり、特に彼等が理解できる話については、非常に好意的である。今まで私が見てきた、あらゆる民族の中で、それがたとえキリスト教徒であろうと、なかろうとも、窃盗に関しては、日本人こそ一番徹底して厳しいのである。
⇒ 彼等(日本人)の喋り方は、極めて丁寧である。どうやら、彼等は偉大な領主の土地において育てられたらしい。彼等が互いに交わす挨拶も、とても描写することができないほどに丁寧である。
⇒ 彼等は、他人の話をあまりしないし、他人を羨(うらや)むこともない。さらに、彼等は博打もしない。もし、博打や窃盗をしたならば、その者は死刑を宣告されるのである。(中略)もし、これ以上に日本人に関して、彼等の良いところを記す必要があるのならば、もはやインクと紙が足りないほどではないだろうか。
⇒ たとえ、1を盗んだとしても、また10万を盗んだとしても、盗みを働いた者は同じように死刑に処される。これは1を盗んだ者というのは、きっかけさえあれば、10万を盗むからと言われるからである。

(3) 日本人の習慣
⇒ 基礎的なことが1つある。それは、たとえ小さなことであっても、年寄(年長者)に相談することなしに物事を決めないのである。
⇒ 彼等の習慣として、彼等はお互いに願いが叶った場合には、彼等は叶えてくれた相手に対して、信じられないほどに深々と感謝の意を述べる。もし、私たちが一人でも何かを彼等にしてあげたならば、もしくは彼等の下へ訪問したり、彼等が勧めるごちそうを喜んで頂いた場合、その家父長は教会にまでやってきて感謝を述べるのである。そればかりではなく、その親戚たちも同じように大変喜び、誰かの家へ行って私たちの施しを喜んで語るのだ。我々が死後のみならず、現世においても役に立つのだと。
⇒ 人々は、よく教会へ手伝いに来てくれる。その際に彼等はとても気を遣い、夜に帰宅する際には必ず、喜んだ顔で腰を低くしながら、いつも私のような神父に対して「ゴシンローデオンジャル(ご心労でおじゃる)」、要するに、「良く働いてくれた」「あなたは私にとって大事な人」という意味の言葉を何度も繰り返すのである。仮に、私がそれを忘れたものなら、人々はみなその日の仕事の苦労よりも悲しむのである。

(4) 日本人の性格
⇒ 日本人は、世界中で一番キリスト教徒として適応できそうな民族である。というのも、彼等はとても賢く、スペイン人のように理想的に(自分を)修めることができる。
⇒ 私が知っているあらゆる民族の中でも、彼等が最も好奇心が強く、何でも知りたがるのである。彼等は、どうすれば自らの魂が救われるのか、その方法を知りたがり、また創造主についても色々知りたがる。世界中に彼等のような民族はいないのである
⇒ 私(ザビエル)は、アンジロー(日本人)に、もし彼の土地(日本)に行ったら、日本人はキリシタンになるかと聞いた。彼(アンジロー)は、すぐに皆はキリシタンにならないと答えた。
「先ず、皆は私に質問を沢山し、私の答えと理解力によって、判断をする。特に、皆に教えることが自分の送っている生活と一致するかどうかで判断する。もし、丁寧に話し、そして皆の質問にきちんと答えるなら、半年で私のことをよく知った後、王様(将軍)、貴族(武士)、そして一般の人も、皆がキリシタンになる。日本人は、とても理性的な民族だ」と言った。

(5) 日本の教育
⇒ 日本人は、男も女も多くの人たちが読み書きを知っており、特に武士階級の男女や、商人たちは読み書きができます。ボンザ(僧侶)は、その寺院で娘たちに、またボンズ(坊主)は若者たちに字を書くことを教えています。
⇒ また、武士は別な方法で、その家の中に自分の子弟を教育する教師を抱えています。

2.フランシスコ・ザビエルたちが見た“日本と日本人”のまとめ
◆ザビエルは、日本人は「慎み深く、また才能があり、知識欲が旺盛で、道理に従い、またその他様々な優れた資質」があるので、布教に必ず大きな成果が上げられるであろうことを強調しています。
◆日本の各地で、ザビエルを始め、多くの宣教師が布教する中で、出会った日本人が彼等宣教師たちに決まって尋ねたことがあります。それは、「そんなに有り難い教えが、なぜ今まで日本に来なかったのか?」ということでした。そして、「その有り難い教えを聞かなかった我々の祖先は、今、どこでどうしているのか?」ということでした。
◆つまり、「自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けずに死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか」。当時の日本人は、ザビエルにこういう質問を投げかけたのです。元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は「皆、地獄」ですから、ザビエルもそう答えたでしょう。
◆すると、日本人が下記のように追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、随分“無慈悲”だし“無能”ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」
◆ザビエルは困ってしまい、だから日本への布教には「学識の高い神父が必要だ」と手紙に書いたのです。ゆえに、日本に布教に赴(おもむ)く宣教師は、「学識の高い優秀な人でなければならない」と考えたのです。当時の中国にも、韓国にも、インドシナにも、こうしたキリスト教の急所(?)を突くような民族は、いなかったわけです。
◆また、この時代にあっても「日本人は男女ともに、多くの者が読み書きができた」というのです。その教育機関は、寺院でした。寺で僧侶が若者に字を教えていたことは知られていますが、娘たちも尼寺に通って字を習っていました。また、武士が幼い時から家庭で教育を受けていたことは知られていますが、それは親が教えるだけではなく、教師を抱えていたというのは貴重な指摘です。
◆ザビエルたちの宣教師は、日本人を高く評価し、好奇心が強く、理性に従って行動するこの国では、必ず布教が成功するであろうと予見しました。
◆ザビエルたちの宣教師が見た“日本と日本人”をまとめると、下記になります。
① 名誉心や自尊心が高く、強い …… 武士だけでなく、下級の職人や農夫であっても。
② 礼儀正しい …… 日本人全体。
③ 慎み深く、才能があり、知識欲が旺盛で、道理に従う …… 日本人全体。
④ 読み書きができる …… 日本の多くの人々。
⑤ 世界で一番キリスト教徒にできる民族 …… しかし、多神教の日本における実際は?

3.外国人宣教師とキリシタン大名の関係
◆銃の国産化に成功した日本ですが、火薬となる「硝(しょう)石(せき)」については輸入する必要がありました。銃の可否が明暗を握った戦国時代には、この「硝石」のルートを持つ大名が大きなアドバンテージを握ったのです。
◆そして、「硝石」の輸入ルートに大きな影響力を持ったのが、外国人宣教師たちの裏の顔でした。目先のきく戦国大名たちは、こぞって外国人宣教師に近づき、己の野心を満たすためにキリシタンに改宗していくのでした。

(1) キリシタン大名の輸出品は、日本人
◆「硝石」の輸入を競い合ったキリシタン大名たちの貿易の基本は「トレード(交換)」です。この時代、日本は「銀の産出量で世界一」を誇り、多くの取引で銀が重宝されました。そして、数多い輸出品の中で重要な地位を占めたのが、「人間」です。つまり、【日本人奴隷】が商品になっていたのでした。
◆実際、【奴隷】として海を渡った日本人は、数万人とも、数十万ともいわれています

(2) “日本人奴隷”に対する豊臣秀吉の対応
◆1587年4月、九州征伐を終えた豊臣秀吉は、意気揚々と九州の博多に凱旋しました。そこで、豊臣秀吉が目にしたのは、ポルトガル商人の準備した船に乗せられる【日本人奴隷】の姿だったのです。
【日本人奴隷】が、ポルトガル商人によって売買される惨劇を目の当たりにした豊臣秀吉は、九州征伐直後の1587年6月19日に、5ヵ条にわたる【伴(ば)天(て)連(れん)追放令】を発しました。
◆翌年6月、豊臣秀吉は、イエズス会の日本支部準管区長を務めるガスパール・コエリョと口論になりました。
⇒【秀吉】… ポルトガル人が多数の日本人を買い、その国(ポルトガル)に連れて行くのは、何故であるか。
⇒【コエリョ】… ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレ(司祭職にある者)たちは、これを大いに悲しみ、防止するためにできるだけ尽力したが、力が及ばなかった。各地の領主その他の異教徒がこれを売るので、殿下(秀吉)が望まれるならば、領主に日本人を売ることを止めるように命じ、これに背く者を重刑に処すならば、容易に停止することができるであろう。

◆豊臣秀吉が見たのは、日本人が【奴隷】としてポルトガル商人に買われ、次々と船に載せられる光景に、早速コエリョを詰(きつ)問(もん)(厳しく問いただ)したのです。コエリョが実際にどう思ったのかは判りませんが、答えは苦し紛れのものでした。しかも、原因を異教徒の日本人に求めており、売る者が悪いと主張しているのです。
◆しかし、豊臣秀吉は貿易を禁止したわけではないため、極めて不徹底なものになりました。その後も、豊臣秀吉は【日本人奴隷】の売買禁止を求めますが、話は堂々巡りのような有り様だったのです。

(3) “日本人奴隷“が売られる惨劇
◆【日本人奴隷】が売られる様子を生々しく記しているのが、豊臣秀吉の右筆・大村由己の手になる「九州動座記」の下記の記述です。
⇒ 日本人を数百人、男女を問わず南蛮船が買い取り、手足に鎖を付けて船底に追い入れた。地獄の呵責(かしゃく/責め苦しめ)よりも酷(ひど)い。そのうえ、牛馬を買い取り、生きながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道(ちくしょうどう)の様子が眼前に広がっている。近くの日本人はいずれもその様子を学び、子を売り、親を売り、妻女を売るとのことを耳にした。キリスト教を許容すれば、たちまち日本が外道(げどう)の法になってしまうことを心配する。