1.信なくば、立たず
(1) “信”の重要性
◆「信なくば、立たず」の出典は「論語」で、下記の内容になります。
⇒ 子貢(孔子より31歳年下の門人)が、「政道の要諦」について尋ねた。
⇒【孔子】①食糧を豊かにして国庫の充実を図ること、②軍備を充実すること、③人民の間の【信義】、この3つであろう。
⇒【子貢】その3つのうち、やむなくいずれか1つを断念しなければならないとしますと、まず、どれをやめたらよろしゅうございましょうか?
⇒【孔子】むろん、軍備だ。
⇒【子貢】あとの2つのうち、やむなくその1つを断念しなければならないとしますと?
⇒【孔子】もちろん、食糧だ。人は、早晩死ぬものと決まっている。死は逃げられないが、【信】が失われては、政道の根本が立たないのだから。

◆様々な考えや性格を持つ人たちを、何に基づいて統一し、そして一つの「秩序」を創り出すのか、社会のあらゆる組織や企業においても、きわめて重要な問題です。
◆【信】を失うようなことをすると、一切の「秩序」が崩壊してしまいます。これは、単に「組織の原則がどうできているのか」「合理的なのか、不合理なのか」という以前の問題であり、一つの組織内の相互の【信】と、その組織を率いるトップへの【信】の二つが、「共通の規範(正道)」によって、ともに認め合う形にならなければ、【相互の信】は絶対に生まれてきません。
◆「論語」では、この「信なくば、立たず」の【信の重要性】を指摘しているのです。
◆今日の日本から、この【信】が消えかかっていると感じるのは、私だけではないはずです。

(2) “信”の意味
◆「信用」と「信頼」は、違います。
◆辞書によっては、「信用」とは「信頼」できること、と説明しているものもあります。ここにも、日本から【信】が消えつつある現象が現れています。
◆「信用」とは、「現時点までの実績や成果物の評価」になります。そして「信頼」とは、「現時点までの“信用”をみたうえで、将来の判断や行動に期待すること」です。ゆえに、「信用」があるから「信頼」されることになります。
◆また、「誠実」であることの「誠」とは、「言っていること(言葉)と、成すこと(行動)が一致していること」です。これを「知行同一」と言います。
◆さらに、【信】と【忠】の違いを【日本の人間学】から分かり易く説明すると、【信】とは「自分自身が、他人を欺(あざむ)かないこと」であり、【忠】とは「自分自身が、自分自身を欺(あざむ)かないこと」です。
◆すべての日本人が、【信】と【忠】の意味を正しく認識して頂きたいです。

2.“信”なくば、“秩序”乱れる
(1) 本来の“秩序”
◆【秩序】とは、「人間社会のみならず、宇宙や自然界にも通用する普遍的な原理原則」の意味を持っています。また【秩序】は、人間社会において個々の要素が整然と配置され、調和のとれた状態を指します。
そして、ルールや規則、法律などは、「人間社会や集団組織の“秩序”を保つための決まり」です。
◆【秩序】は、ルールや規則、法律などによって維持され、機能的で安定した社会システムを形成しています。
この【秩序】が保たれることで、個人や集団が互いに協力し、共存することが可能となります。
◆この【秩序】には、「形式的なもの」と「非形式的なもの」があります。
「形式的な“秩序”」は、法律や規則、制度などによって明確に定められ、遵守が求められるものです。
一方、「非形式的な“秩序”」は、慣習や文化、道徳などによって形成され、社会の中で暗黙的に受け入れられているものです。
◆この【秩序】が破られると、混乱や不安が生じ、社会の機能が低下することになります。そのため、どのレベルの【秩序】を社会に求め、維持しなければならないのかが重要になります。最低限の【秩序】を維持するためには、法の適用や制度改革のみならず、道徳教育や啓発活動なども絶対に必要なのです。
◆また【秩序】は、時代や文化によって異なる形で存在します。異なる文化や価値観が交流する中で、【新たな秩序】が生まれることもあります。
◆このように【秩序】は、社会や文化の変化に伴って進化し、適応していくものであり、そうしていかなければなりません。

(2) 現在の日本の“秩序レベル”
◆これまでの日本は、世界の中において「最も“秩序”が確立している国」と言われていました。これは、法律や政治権力、警察によって【秩序】が維持されているのではなく、まだ日本人の【信】が完全に失われていないからです。この【信】が失われたときに、日本は簡単に崩壊してしまうのです。企業も一緒です。
◆これまでの日本人は、事細かく定められた規程やマニュアルなどが無くても、それぞれ自らをコントロールして、きちんと仕事をこなしていけました。それは、これまでの先人から受け継いだ【秩序】の基本を、各人の「自己統御(部下がより規律を守り、士気を高め、団結を強め、積極的に指揮に従おうとするリーダーシップ)」に求めていたからです。
◆しかし、経営トップ層や管理職者が「自己統御」できないようになったら、会社の【秩序】だけではなく、日本の社会全体を維持していけなくなります。
◆今日の日本は、この「自己統御」ができなくなり、【秩序の崩壊】が「煮えガエルの感じ」で始まっています。

(3) “公共・秩序”と、個人の権利
◆自分の家のゴミを隣の家の敷地に捨てることは、隣の家の人たちに迷惑をかけることになるのは、誰にでも分かることです。すべての人は、社会を構成する一員であるがゆえに、ここに「公共性」の大切さがあります。
◆「公共性」とは、広く社会一般の利害に関わる性質のことです。そして、「公共事業」には道路や橋の建設などの様々な事業があります。この「公共事業」の実態は、その是非(見直しや廃止など)について様々な議論があるところですが、本来の意義は、「みんなのためにある」ことです。
◆「自分自身があって、他人がある」「家族があって、社会がある」のではありません。「他人があって、自分自身がある」「社会があって、家族がある」が、(欧米人たちと違う)日本人の古来からの精神性です。
「個人の権利があって、“公共や秩序”がある」のではなく、「“公共や秩序”があって、個人の権利がある」のが、日本人の古来からの精神性です。
◆「公私混同」とは、公的な事柄と、私的な事情とを区別せずに対応することです。近年の我が国の政策においては、「公共・公益」の名目のもとで「私益(利権)」が見え隠れしてしまうことが多いのですが、「本来の公益」は「私益」に優先することをはき違えてはなりません。
◆自分自身で、自分自身の行動範囲や人と接する機会を狭めてしまうと、「公共性や秩序」の意義を偏った捉え方になってしまいます。
◆また【秩序】とは、社会が望ましい状態を保つための順序や決まりのことです。分かりやすい例が、「交通ルール」や「就業規則」などです。
◆「自社(自分自身)のところさえ影響がなければよい」は、個人の権利ではなく、「利己主義的(自社や自分自身)」の利益を重視し、社会や他社(他人)の利益を軽視する考え方の人の判断に他なりません。ここに、「大人型人物」の育成・輩出の重要性があります。