1.歴史を失った民族は、滅ぶ
◆歴史学者のアーノルド・J・トインビーは、「民族滅亡の3つの共通点」として、
①「自国の歴史を忘れた民族」は、滅びる。
② 全ての価値を、物や金に置き換え、「心の価値を見失った民族」は滅びる。
③「理想を失った民族」は滅びる、と言っています。
2.GHQに処分された“日本の人間学教育”の教科書
◆第二次世界大戦後に世界のリーダーになった米国にとって、日本(人)の優秀さゆえに、日本(人)の良さ(精神性の高さ)を消し、永遠に米国の対抗エネルギーにならないために、「日本人の心」を徹底的に研究の限りを尽くし、その結果、我が国の「教育」に着目しました。そして、我が国に上陸した連合国軍最高司令官のマッカーサーにより、日本は今後「修身」「歴史」「地理」を教えてはならないと宣言しました。
◆終戦後の1945年(昭和20年)9月20日、当時の文部省が「教科書の戦時教育部分の削除」を通達しました。
そして、国民学校(初等教育と前期中等教育を行っていた学校)の生徒自身の手によって、教科書に墨が塗りたくられました。墨塗りが行われた教科書は、主に「国語」でした。「地理」「歴史」、そして現在の【道徳】である「修身」の教科書は、墨塗りではなく、処分されました。
◆GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指令の下、「アメリカ教育使節団報告書」に基づいた大規模な「学制改革」が、戦後日本で実施されました。「教育改革」だけではありません。
GHQは、日本を占領した1945年9月から1952年4月までの7年弱の間、その政策は徹底的で、かつ完璧で米国から見れば大成功だと言えます。なぜなら、今日の日本社会の隅々まで完璧に「日本人の心」を骨抜きにできたのですから…。
◆これにより、我が国の先人たちの遺産である【人間学】を、国や行政、企業が完全に忘れ、ただ浪費(減価償却)しているのが今日の状況です。まさに、GHQ政策の勝利です。
先人たちの遺産をこのまま浪費するだけでは、やがて【日本の人間学】がいずれ途絶えてしまい、世界における日本(人)の存在意義も問われてしまいかねません。
◆GHQ政策により、「修身教育」を禁止されましたが、一般財団法人・国づくり人づくり財団によりますと、「西独は戦後復興に際して、またレーガン大統領は米国の学力低下と暴力だらけの教育現場に、そして英国の教育改革にサッチャー首相たちは、“我が国の戦前の修身本”を直訳して使い、国を立て直した」とのことで、このことはあまり知られていません。
それだけ、【日本の人間学教育】のレベルが、戦前までは優れていたことを知って頂きたいのです。
3.“修身”の本来の意味と自覚的努力
◆【修身】というと、年齢を問わずに「軍国主義」と結びつけてしまうとするならば、これも「GHQ政策」の成果でもあります。
◆【修身】は、自分自身の人としての【本質的要素(道徳性)】を修めることです。ゆえに、【本来の修身】は、会社や人から強要されて行うものではなく、自分自身で自分自身を磨いていこうとする「自覚的な努力」がなくしては、【本来の修身】は成り立ちません。
◆また、【修身】は「学問」であって、「勉強」ではありません。逆に、人としての【本質的要素(道徳性)】を学ぶことを「学問」と言います。
この「自覚的努力」を抜きにしては、「人格」や「人徳」「人望」のある人物には成り得ないのも事実であります。
◆この「自覚的努力」を、「日々、どちらを向いて努力するのか」により、各人の人格が大きく変わってしまいます。判りやすく言うと、自分自身の利益を中心にした「動物的努力」をする人は、【小人】であり、人としての道義を中心にした「人間的努力」をする人は、【大人】になります。
4.骨抜きの“日本(文部科学省)の教育方針”
※出所:文部科学省の中央教育審議会/1996年(平成8年)
(1) 基本的な方針(抜粋)
◆【教育】とは、教え育むこと。人間を成長させるために、物事を教えること。勉強や一般教養などを長い期間で身につくようにさせること。立派な人間にするために躾けることなど。
◆他人に対して、意図的な働きかけを行うことによって、その人を望ましい方向へ変化させること。広義には、人間形成に作用するすべての精神的影響をいう。その活動が行われる場により、【家庭教育】と【学校教育】そして【社会教育】に大別される。
◆【教育】の基本は、「独り立ち(=自立)できるように」が大まかな基本になってくる。また、親以外の【教育】にあたっては、日本の場合は【教育】の義務が憲法で決まっており、「初等教育」「中等教育」「高等教育」に分けられ、それを行う施設を「学校」と呼ぶ。
(2) 家庭教育について(抜粋)
◆【家庭教育】は、乳幼児期の親子の絆の形成に始まる家族との触れ合いを通じ、「生きる力」の基礎的な資質や能力を育成するものであり、すべての【教育】の出発点である。
◆しかしながら近年、家庭においては、過度の受験競争等に伴い、遊びなどよりも受験のための勉強重視の傾向や、日常生活における躾や感性など、本来【家庭教育】の役割であると考えられるものまで学校に委ねようとする傾向のあることが指摘されている。
◆加えて、近年の都市化、核家族化等により地縁的つながりの中で、子育ての知恵を得る機会が乏しくなったことや個人重視の風潮、テレビ等マスメディアの影響等による人々の価値観の大きな変化に伴い、親の【家庭教育】に関する考え方にも変化が生じている。
このようなことも背景に、無責任な放任や過保護・過干渉が見られたり、モラルの低下が生じているなど、家庭の教育力の低下が指摘されている。
◆我々(文部科学省)は、こうした状況を直視し、改めて【子供の教育】や人格形成に対し、最終的な責任を負うのは家庭であり、【子供の教育】に対する責任を自覚し、家庭が本来果たすべき役割を見つめ直していく必要があることを訴えたい。親は、【子供の教育】を学校だけに任せるのではなく、これからの社会を生きる子供にとって、何が重要で、どのような資質や能力を身に付けていけばよいのかについて深く考えて頂きたい。
◆とりわけ、基本的な生活習慣・生活能力、豊かな情操、他人に対する思いやり、【善悪の判断】などの基本的倫理観、社会的なマナー、自制心や自立心など「生きる力」の基礎的な資質や能力は、【家庭教育】においてこそ培われるものとの認識に立ち、親がその責任を十分発揮することを望みたい。
◆そして、社会全体に「ゆとり」を確保する中で、家庭では親、さらには祖父母が、家族の団らんや共同体験の中で、愛情を持って子供と触れ合うとともに、時には子供に厳しく接し、「生きる力」を育んでいってほしいと考える。同時に、それぞれが自らの役割を見いだし、主体的に役割を担っていくような家庭であってほしいと思う。
◆家庭における【教育】は、本来すべて家庭の責任に委ねられており、それぞれの価値観やスタイルに基づいて行われるべきものである。したがって、行政の役割は、あくまで条件整備を通じて、家庭の教育力の充実を支援していくということである。
(3) “人間学教育”に取り組まない国(文部科学省)
◆上記のように、国(文部科学省)が【日本の人間学教育】に取り組もうとしない(取り組まない)以上、「本来の日本人らしさの気骨と矜持」を取り戻し、「若者世代が期待できる日本」にしていくためには、【日本の人間学教育】を民間企業にて「従業員教育」の一環として実施するしかありません。
