「物事」という言葉は、誰しもが普段から当たり前のように使っていますが、この「物」と「事」の意味や違いを、判ったつもりで素通りしてしまうと、「物」と「事」の本質や根本が何も判らず(認識できず)に判断してしまい、その結果【日本の人間学】の何たるかが、まったく判らないことになってしまいます。

1.【日本の人間学】における“事”とは
◆「事」に対して、【時務学】たる辞書などでは、「自然」と「人の事」の両方の現象を指しています。
一方で、【日本の人間学】における「事」は、「人の事」の現象を指します。
◆一日の昼と夜、天気の晴れや雨などの「天」に関することや、地震や地滑り、津波などの「地」に関することは、人間が完全にコントロールできることではありません。また、台風や地震などの自然現象による被害を「事件や事故」と言わず、「災害」と言っています。
◆【日本の人間学】では、「人」がコントロールできる「事」を指しています。事件や事故、不祥事などには「事」の漢字が使われています。

2.事には、“始まり”と“終わり”がある
◆「事の終わり(結果や状況)」における事件や事故、不祥事などには、必ず「事」の漢字が使われています。そして、これらの「事」には「人」が必ず関与しており、この「事の終わり(結果や状況)」に対する「事の始まり(原因)」を考えると、自ずと「人」にたどり着きます。
逆に言うと、「事の始まり(原因)」は「人」から必ず始まっており、その根本は「物の本(もと)」から発生しているのです。「人の事」における事件や事故、不祥事は、すべて「人」が起こしているのです。
◆企業の不祥事に対する当事者のコメントの「再発防止に努めます」の答弁のその再発防止策の内容は、「コンプライアンス(法令遵守)やガバナンス(企業統治)を強化する」という「対症療法(目前の状況に応じた処理)」になってしまっています。
◆企業の不祥事を、問題ではなく「事の終わり(結果や状況)」としての現象と見ることで、その「事の始まり」たる根本の「物の本(もと)」にたどりつけるのです。

3.【日本の人間学】における“物”とは
◆「物」に対して、【時務学】たる辞書などでは、「固体・液体などの有体物が物とされる。電気・ガスなどの無体物は物ではないとされる。人間の感覚で捉えることができる形を持つ対象」と記されています。
◆一方、【人間学の分野】で分類すると、「植物」「動物」「人物」となり、その言葉には「物」の漢字が使われており、【日本の人間学】における「物」は、「人(人物)」を指します。

4.物には、“本”と“末”がある
◆「物の本(もと)」は、「本能や本質」などを指します。一方で、「物の末(すえ)」は「枝葉や末節」を指します。【日本の人間学】を学ぶには、ここからが重要になります。

(1) 植物の“本”とは
◆「植物の“本”」を、【日本の人間学】では「本能」と捉えて考えて下さい。そして、花を咲かせることや実をつけることなどは、すべて「植物の“末”」になります。
◆すべての「植物の“本能”」は、子孫(種)を残すことです。「植物」には、“おしべ”と“めしべ”がありますが、子孫(種)を残すための受粉を自ら行うことができません。では、どのように対応(進化)すればよいとしたのでしょうか?
それには、他の動物(例:蜜蜂)に頼って、「おしべ」の花粉を「めしべ」に付着させるように進化しました。そのためには、昆虫(蜜蜂)が花にきてもらう必要があります。そこで「植物」は、昆虫(蜜蜂)が好む(食用になる)蜜を作りました。「おしべ」と「めしべ」がある「花」、「花」を咲かせるための「葉」や「茎」「根」などは、すべて子孫(種)を残すための「末(枝葉・末節)」になります。
「植物の“本(本能)”」は、子孫(種)を残すことです。

(2) 動物の“本”とは
◆「植物」と同様に、「動物の“本(本能)”」も子孫を残すことです。「動物」の世界は、「強い雄(オス)」から食事を先にとります。そして、「雌(メス)」は強い子孫を残すために、「強い雄」の精子を求めるのが「本能」です。好き嫌いも一部にあるようですが、全体的に「強い雄」を求めます。
「動物の“本(本能)”」も、子孫を残すことです。そして、「頭(脳)」や「手足」などの身体は、「枝葉・末節の“末”」になります

(3) 人物の“本”とは
◆「人物(人)」も、生物学的には「動物」に入りますが、ここで重要なことは「人として、やっていいことと、やってはいけないこと」です。「力の強い男」が、自分自身の性欲を満たすために「女を強姦」することは許されることではありません。
◆古典の【大学】や【論語】は、紀元前の作です。このことは、我々の先人たちは紀元前から「人として」継続されていることです。紀元前から「動物の“本(本質)”」と、「人物の“本(本質)”」は区別されています。
「人物としての“本”」は、「人として、やっていいことと、やってはいけないこと」を分別する「心」のことです。
◆ゆえに、【日本の人間学】において、「物」は「モノ」ではなく、「人」を指し、その「本(本質)」は「心」のことを言います。

(4) 人物の“末”とは
◆「人の“本(本質)”」は「心」ですが、その「末(枝葉・末節)」は「身体など」です。人の脳を「本」という人もいますが、脳も「身体の一部」です。
「心」の意思を表現するために、脳が指示をしています。ゆえに、人としての【付属的要素】である「知識や知能」「技術や技能」は、すべて「人の“末”」になります
◆「人の“本”たる心」が、自分自身の利(損得)を中心にして判断される場合を想像してみて下さい。自分自身の利(損得)を中心にした経営者や上司だった場合、「秩序」が失われた会社になってしまいます。
また、国のトップが「自国の利」を中心にした場合、「世界の秩序」が失われた社会(世の中)になってしまいます。
◆ゆえに、どんなに「知識や知能」「技術や技能」が優れていても、「人の“本(本質)たる心”」を正しくすることを、「すべての人」が学ばなければならないのです。
◆この「人の“本(本質)たる心”」を正しくすることを学ぶのが、【日本の人間学】です。

5.【基本2】のまとめ
【日本の人間学】の基本中の基本であります「物の本末」と「事の終始」には、宗教的要素が全くありません。これが、日本人と欧米人の「心の意味」の根本的な違いになります
◆「人の事」に関する「事の始まり」は、必ず「物(人)の本(心)」から出発しており、この「物(人)の本(心)」が根本問題であり、この「本(心)を格(ただ)す(正す)」ことが「人としての根本」です。
◆企業不祥事の当事者たちやマスコミ、そして国(行政)が、不祥事の再発防止策の解答を知らないのではなく、「日本の根本問題」が何かを認識できていないのです。根本問題を認識できていないから、その対応策も的外れになり、何も根本解決しないのです。
◆この【日本の人間学】を、日本の「政財官のトップ層」が学んでいないことが、「事の終わり」たる「日本の現在の結果や状況」なのです